いつもの日常(朝)

ー平和な学園ー


 これは友達の友達の身に起きた、本当の話なんだけどさ。

 そいつ──ちょっと? 凄く? 特別っていうか、ヒボン?な家庭に生まれ育った割には、話してみると結構フツーの子なんだわ。そう、だからあたしらも気を付けなきゃいけねぇって思うんだよな。

 何にって? そりゃお前、音だよ、音。何の音か? いいから聞けって、いちいち話の骨を……ん、腰だっけ? まあ、どっちでもいいじゃんか。

 で、そいつの話なんだけどさ。フツーの奴なら、誰でもあると思うんだ。人には言えねえ事。秘密。うん、いいよな。ロックだ……じゃなくて。ええと、そいつの場合、誰にも見られちゃいけねぇ秘密の書類があったんだ。見つかったら、それでおしまい。文字通り、何もかも終わり。だからそいつは、誰にも見つからない所に書類を隠しておいたんだ。念には念を入れて、絶対にバレねぇように。

 けど、その日はそいつが部屋に戻ったら、隠しておいた書類が全て机の上に散らばっていたんだ。ありえねぇ。本来なら、絶対にありえねぇ事だ。部屋のセキュリティは完璧。隠し場所も完璧だったはずだ。けど、隠しておいた書類が散らばっていたんだ。

 それと同時に、聞こえて来たんだよ。開けたままにしておいたドアの向こうから、カツーン、カツーン……って。そう、足音だよ。それも、そいつが最も怖れる足音だ。そして、そこでは絶対に聞く事が出来ないはずの足音が、もうすぐそこまで──

 

「……ちょっと待った。それ、結局何なの? 怪談話とか、そういうのとは違くない?」

「いやだって、あたしもそう聞いただけだし」

「つまりただの噂話じゃん」

「ううん、転校生はすっげー怖そうに話してたけどなあ」

 眉を寄せてばりばりとボブカットの頭を掻いているのは、クラスメイトの音無律(おとなし りつ)だ。ギターは苦手で作詞のセンスも壊滅的だが、歌は上手く、ロックをこよなく愛する女の子である。

 彼女はよく謎の情報源から様々な噂話を拾ってくるが、しかし今回のは情報元が割れている。彼女の言う通り、僕がうっかり教えてしまった話だ。

「……これ、あんたの作り話なの?」

「いや、僕も浅梨(あさり)ちゃんから聞いた話なんだけど、実話みたいだよ」

「ふうん。非凡な家庭って、そういう……って、始祖十家じゃん!」

 で、僕の返事にノリの良い突っ込みを入れてきた方が、間宮千佳だ。茶髪に染めたサイドテールが、彼女のオーバーリアクションに合わせてふりふりと揺れた。この二人は仲が良く、しばしばつるんでいる姿が見受けられる。

 僕? 僕は単に、たまたま近くを通りかかった所を呼び止められただけだ。時刻は午前八時過ぎ。場所は正門から真っ直ぐ進んだ先の、中央広場の噴水前。早朝と言うにはあまりに遅く、しかし朝礼までには充分過ぎる時間の余裕がある。今日は特に急ぐ用事も無かったので、二人の雑談に付き合う事にしたという訳だ。

「で? その話、オチとかあんの? 第一、聞こえるはずのない足音って何よ」

「それが、浅梨ちゃんは凄く怖がっちゃってて、その足音については聞き出せなかったんだよね。あと、書類についても」

「何それ……スッキリしないなあ。お化けとかの話じゃないんだよね?」

「たぶんね」

「ならいいけど……」

 彼女の言う事はもっともだ。しかし実は、僕はこの話のオチを知っていたりするのだが、浅梨ちゃんの名誉の為にも二人には黙っておくのが正解だろう。言わぬが花、と言う奴である。

 世の中、からくりを知ってしまえば、大抵は興醒めしてしまうものだ。たとえばこの話、浅梨ちゃんが隠していた書類とは、テストの答案用紙の事だ。そして、迫ってきた足音の正体は、魔法精鋭部隊の隊長を務めるエレンさんである。見た目や言動はともかく、男子である浅梨ちゃんは、もちろん男子寮で生活している。基本的にここに女性が立ち入る事は無く、精鋭部隊の訓練中に聞き慣れたエレンさんの足音が、男子寮で聞けるはずが無い。

 が、どこかで浅梨ちゃんの成績について、エレンさんが小耳に挟む機会があったのだろう。赤点を取ってしまった浅梨ちゃんは、彼が不在の間に部屋に押し入られ、証拠となる答案用紙を発見されてしまったのである。精鋭部隊は文武両道を掲げているだけに、エレンさんに赤点の証拠を押さえられる事は死を意味するような物だ。その後、鬼の形相のエレンさんによって、浅梨ちゃんはたっぷりと絞られたらしい。そりゃあ、涙目で僕に助けを請いに来る訳である。

「ま、いいけどね。あー、てっきり怖い話かと思って身構えちゃった。バッカみたい」

「怖い話、千佳は苦手だろ。ああ、そういえばこんな話もあったな」

「なに、また噂? あんた、いっつもどこから情報仕入れてくんのよ」

「友達から聞いたんだよ。そんでな、これは目撃情報もあるんだけど、夜の校舎に忘れ物を取りに行った奴が、怪しい黒い霧を……」

「学園内に霧が発生したら、流石に生徒会が黙ってないでしょ」 

「あれ、それもそうか。じゃあ、視線を感じて振り返ったら、女の子の形をした影だけが──」

 楽しそう(なのか?)に話す二人を眺めつつ、僕はポケットからデバイスを取り出した。電話やメールのような通信機能だけでなく、様々な情報処理機能を有する携帯端末だ。個人で持っている者も少なくないようだが、それとは別に、学園生全員に支給されている品である。画面を操作してスケジュールを表示するが、今日の日付の欄は真っ白なままであった。

 ここしばらくはクエストに出ずっぱりだっただけに、丸一日なんの予定も入っていないというのはなかなか珍しい。だからこそ、今日くらいは彼女達の他愛も無い雑談に付き合ってもいいかな、と思ったのだ。

 クエスト──それはここ、私立グリモワール魔法学園に通う生徒に義務づけられた、必ずこなすべき任務である。僕らはこの学校で、霧の事、霧から生まれる魔物の事、魔物と戦う術の事、そしてその最大の武器となる魔法の事を学び、いずれ卒業して軍やPMCなどに属する事になる。卒業後に一人前の兵士、あるいは傭兵として戦っていけるよう、その予行演習のようなものだ。クエストは授業の一環に組み込まれていて、霧が集まって魔物へと変わると、軍が精査して学園生でも対処可能と判断されれば、生徒会を通してクエストが発令される、という仕組みである。

 まあ、僕は魔法使いに覚醒したくせに、ほとんど魔法が使えないという間の抜けた、というか悲しい体質の持ち主なので、戦闘そのものはほとんど行えないのだが。魔法が使えない僕がここまで戦って来られたのは、ひとえに皆が力を貸して、僕を支え続けてきてくれたからである。

「ん? おい、転校生。話、聞いてたか?」

 唐突に律に呼びかけられ、自分が惚けていた事に気がつく。大きな目が、心配そうにこちらを覗き込んでいた。

「あー、ごめん。少しぼーっとしてたかも」

「大丈夫? あんた最近、ちょっとクエスト出過ぎだと思うんだけど。疲れとか溜まってんじゃない?」

「平気平気、自分の体の事は分かってるから。それに、ほら。今日は何も予定が入ってないんだ。緊急のクエストでも発令されない限り、今日はゆっくりしてようかなって思って」

 そう言ってデバイスのスケジュール表を見せてやると、二人はようやく少し安心した表情になった。そこまで心配されるほど、僕は疲れ切った顔をしていたのだろうか。

「なんなら、放課後にでもカラオケ行かない? たまにはストレス発散とか、しといた方がいいっしょ」

「あのなあ、千佳。せっかくのんびりできる日に、体力ガッツリ使わせてどうすんだよ。転校生、今日の所は千佳の相手はあたしがしとくから、今日くらいちゃんと休んどけよ」

「悪いね。また今度、暇な日があったらどこか遊びに行こうか」

「むう……ま、うちは別にいいんだけどね、昨日これでもかってくらい歌って来たし」

「それより、二人とも。そろそろ授業棟に向かわないと、朝礼に間に合わなくなりそうだよ」

 再びデバイスの画面を突きつけてやると、二人は揃って「うげ」と漏らして鞄を抱えた。いつの間にか、時刻は八時半をとっくに回っている。

 この学園は、どこぞの国のお城を庭園ごと風飛市の山奥に持ってきて、学び舎として使っている物だ。無駄に広い敷地の所為で、この中央広場から授業棟までは、ちょっと離れている。しかし魔法を使わずとも、魔力で身体能力が強化されている僕らにとって、そのくらいの距離など思い切り走り抜ければすぐであった。

 空を見上げれば、今日も良い天気。まだ少し肌寒さを感じさせる風が吹き抜け、短く切り揃えた僕の髪を撫でていった。

 最初は戸惑ったものの、僕はもうすっかりこの学園の一員として、馴染んでいる気がする。第七次侵攻と呼ばれる霧の魔物の大攻勢。裏世界と呼ばれるこの世界とは似て非なる世界の発見。魔物に奪われていた北海道の奪還。幾度にも渡るテロリストとの攻防。他にも大きな戦いは幾つも経験してきた。このまま大人になって、魔法使いとして前線で戦い、そしていつか戦場で死ぬのだろう。だからこそ、“あの子”は悔いの無いよう学園生活を楽しんで、と言った。

「そうだなあ。あれだけ戦闘に出てれば、もう実感無いとか言ってもいられないし」

 僕の人生において、もしかしたら今この瞬間以外、もう二度と平穏な時間は訪れないかもしれない。そう思うと、何もない今日という日が、何だかとても素敵な物のように思えて来るのだった──